2015/01/03

2014年振り返り (※チラ裏)

一応テック系記事を心がける当ブログですが、
下記は一切テックじゃない、個人的趣味全開なところから
2014年を振り返ってみます。
お目当てと違う方はブラウザ・バック・プリーズ!!!(古語)


趣味は、音楽鑑賞というか、現代音楽・吹奏楽の音源集めです。
大編成オケも守備範囲に入るでしょうか。マニアックな音源はたいてい美味しいです。
周囲に、同じ方向性で日本経済回しを愉しんでくれる知人が居ないのが哀しいところではあります。
以下、前置きの通り「趣味全開」ですので、何言っているか分からないかもしれません(真顔)


コンチェルトの年


個人的には、2014年は「コンチェルトの年」だった気がします。
まず2月の東京佼成ウインドオーケストラ定期「巨人」の、J.マッキー トロンボーンコンチェルト「ハーヴェスト」。
この超高難度の作品を、日本人ソリストでライブで聴けるなんて、一生に2度あるかどうかです(自分が行けるという意味で)。
以前ヤマハ吹奏楽団のアルプス交響曲の時のライブ盤では収録されてなかったので、やっと聴ける!みたいな。
聞くところでは、今回のソリストの山本氏は、日本初演者の方の師匠筋の方……だったかな。どうだったかな。
後半に「巨人」用の大編成が控えておりますが、ハーヴェストはコンパクトな指定編成(弦抜きオケ用ということで。円錐管ファミリーもおらず)。
それなのに打楽器隊も含めてバカスカ鳴らす鳴らす、ソリストも鳴らす。指揮者の川瀬氏もノリノリ。
先日ライブ音源がリリースされたのですが、巨人が長いこともあり(!?)ハーヴェストが収録されてないのが残念至極。
いやほんと、収録されないと知った時の衝撃で、2014年の光沢と彩度がくっきりと下がりました。
収録されてないという意味ではヤマハと同様ですが……直に聴けたので供養されました。
(さらに収録されてないつながりで言うと、神大定演の「魁響の譜」もですね。アルプスが長かったとはいえ、辛し。そういえばヤマハもアルプスですし、50分越えの作品とのカップリングは鬼門過ぎる)

CDの他、ハイレゾ音源も出てるのですが、コロムビア様からの動線……ちょっと売る気無いんじゃないの的なアレさがあります(笑)
http://www.e-onkyo.com/music/album/cokm32884/

「巨人」つながりでは、3月末には「小松一彦 メモリアルコンサート」がありました。
吹奏楽とオケの違いはありますが、年に二度も生でタイタン聴けるとは。
仕上がりはもちろん東京佼成と比べてどうこうというのではなく、小松一彦氏追悼の演奏であり、感慨深いものがありました。なかなか聴けない規模の巨大な編成で音を浴びれたのもよかったです(カップリングのローマの松含め)。
小松先生、また大阪市音楽団(市音)振って欲しかった……

市音といえば、行政判断に揺さぶられて大変なことになってましたが、
この4月より社団法人として再出発。
止まっていたライブCDの販売も再開されました。11月に発売された「メキシコの祭り」は「巨人の肩にのって」目当てで買いました。
これも副題は「金管と吹奏楽・打楽器のための協奏曲」ですね。地底旅行もそんな感じだったっけ?
「メキシコの祭り」は、お、この曲こんなにいい曲だったのか!と思いました。
でも2014年中は聴きに行けなかった市音。2015年の「祭り特集」には絶対行く。
オオサカンも聴きに行けなかった。
オオサカンと言えばナクソスから音源出やがってビックリしました。えええどっちの盤も買ったよみたいな。でも今後も頑張ってライブラリ充実させてください。
(そして「巨人の肩にのって」と「メキシコの祭り」は今年タッドもやってたみたいですね。前者はつい先日ライブ盤が出た模様。
 タッドの年明けの演奏会も選曲が例年通りツボ押さえすぎててやばい。できれば行きたい。無理そうだけど。)

3月末でもう一つ。シエナ+尚美の「展覧会の絵」もありました。
伊藤版「展覧会の絵」は特殊中に特殊な編成ですが、聴く機会に恵まれたのは幸いにも二度目(一度目は横浜にて)。
こちらも極大編成の醍醐味が感じられました。けどホールの残響が豊かすぎるというか、ちょっとワケ分からなくなることもしばしば。
仕方ない。
そして富樫鉄火氏のMCのあのなんとも言えない雰囲気(^^;
同時に演奏された「パガニーニ・ロスト イン ウインド」もかねてより聴きたかった作品で、やっと聴けました。
これも、もともとSax二重奏とピアノのための作品をウインドアンサンブル用にしたもので、サックスの活躍ぶりなど協奏曲的な趣きがあります。もっというと「全員の全員に対する協奏曲」とも言うべきか……。

(あと、3月で言うと
たしかイーハトーヴ交響曲のBD発売もありましたっけ)

そのちょっと後、4月に東京佼成の演奏でも聴けたので、これも、まさか同じ年に二度も。僥倖。
こちらは委嘱者の演奏で、かつ「原典版」と付記されていることもあって注目度アップ。
演奏もよりクリアに仕上がっていたと感じました。

さらに4月上旬にあったぱんだウインドのコンサートでは
J.マッキーのソプラノサキソフォンコンチェルトを何と大学生の演奏で聴けるという、チャレンジングな取り組みが。
大学生と言っても芸大ですし、ほぼプロオケみたいなもんですし、ソリストはいまや世界的に評価を受ける上野氏ですし、
なにを文句言うことがありましょうか。テンションの高さ、ちょっと粗い感じも含めて魅力。ただ科戸はちょっと元気すぎか(^^;
プログラム最後の「アルプスの詩」では“オルガンサウンド”を見事に響かせてくれ、ぞくぞくしました。
こちらもライブ盤が出てます。
http://www.brain-shop.net/shop/g/gBOCD-7381/

科戸と言えば、先に書いた東京佼成のパガニーニの回にも演奏されていて、
学生とプロの聴き比べ?みたいになりました。
科戸自体、もともとは可変的な編成の作品ですが、ここで演奏されたのは固定編成に書き直した新エディション。
難易度上がっているそうですが、それはもう説得力のある演奏でした。
同時に演奏されたアルメニアン全曲も含め、この回はこれまで行った東京佼成の定期の中でも
トップクラスの満足度でした。「ロリからの歌」の、終曲に向けての畳みかけなど、見事の一言。
このごろの東京佼成はほんとに充実感あふれていていいです。こちらもライブ盤が楽しみ。

さらにさらにソプラノサキソフォンコンチェルトといえば!
日本人ではこの人しか吹けない(※吹かない)と思っていた須川さんが、デビュー30周年記念コンサートで取り上げてくださいました。
2013年の吉松隆還暦コンサートでのサイバーバードに続き、
須川さん演奏で聴きたかった夢が叶いました。
ぱんだでの上野氏の演奏とはまた違った豊かさのある響きが聴けました。
ステージからかなり近い席だったので、息が足りなくなりそうなところも含めて緊張感がすごい……
そもそも3時間にもなる演奏会、その最後にこんな変態的な難曲ということで、これはもう偉業というほかないです。
一生の宝になる視聴体験だったかと。
このとき披露されたプライム-クライム-ドライブ室内楽版、10月にレコーディング音源が出ましたがまだ買ってないというあるまじき状態。
こちらも素はといえば「Sax四重奏とオケのための協奏曲」だったと思います。オリジナル版の再演も望みつつ。

須川さん→サイバーバードと言えば、
吉松隆氏の未出版だった楽譜が販売され始めたのも四月。サイバーバードやタルカスは、出るなりPDF版買いました。
こんな作りになってるのかー!と眺めながら聞くと鑑賞の楽しさもひとしおです。
吉松氏つながりでは「交響曲第6番「鳥と天使たち」&マリンバ協奏曲「バードリズミクス」」の音源もでました。
どちらも以前演奏会で聴く機会に恵まれてはいましたが、繰り返し聴けるのはやっぱりありがたい。
鳥と天使たちもバードリズミクスも、2楽章で無条件に泣かされました。くそっくそっ
細やかで透き通ったアンサンブルが涙腺を勝手に緩めるのです。

コンチェルトの年しめくくりは、ブリッツ演奏の「ムータ・イン・コンチェルト」と、西島尊大作曲「ピアノコンチェルト第一番」。
後者はサックスオケとピアノという極めて珍しい取り組み。
ムータもいつか聴いてみたいと思っていましたが、生で耳にしてみると、三楽章が実にいいですね。
まるで「『何回クライアントチェック受けてもOKが出ない』っていう夢を観ながら目覚まし時計に起こされる」みたいな、どろっとした緊張感。
ソロと打楽器の掛け合いに滲む「なにを言っても無駄なんじゃないか」感。ヒステリーと諦観。
これまで聴いていた音源では派手な楽章に耳が行きがちでしたが、こんな変な質感をもっていたのかと、発見でした。
それにしても、なぜサックスの代名詞とも言えるA.Sx担当楽章でこういうことをするのかw コンセプチュアルすぎるでしょw 大好きです。
西島尊大氏の作品は、もともと打ち込み作品だったこともあり、ソリストに酷だなーとヒシヒシ感じました。また、もともとの作品の色彩感を考えると、サックスオケではモノトーンな感じが拭えなかったかなーと思います。
たまたまホールを出たところの公園でバッグパイプを演奏している人が居て、しばし耳を傾けて帰途に就きました。生バグパイプ初めて聴きました。電子バグパイプなんてあるんですね!
原曲が収録されているアルバム「10<」は、一曲一曲が長いこともあり作業BGMとして日々活躍してます。
今月末には吉松隆氏のトロンボーンコンチェルト「オリオンマシーン」を含む演奏会もあり、コンチェルトの一年の残像的位置づけ。

あとはコンチェルトネタは無いですが、
9月の東京佼成定期。剣と王冠あなどってたけどこんなにいい曲だったのか!と、リンカンシャーも秀逸。この二作品は、ライブ音源では決定版になるんじゃないでしょうか。
宇宙の音楽は、ヨーロッパツアーで取り上げて以来待ちかねてました。ちょっと期待を膨らませすぎました。
5月のなにわオーケストラルでも取り上げられていた宇宙の音楽ですが、そちらのリリース済み音源も含めて、
つくづく、難しい作品なんだなーって思います。
技巧的な難易度というよりは、東洋島国民族の体力、ハードウェア的な問題だと感じます。
(……と、YBSとかのムッキムキな演奏と比べるとどうしても思ってしまいます。なんやあいつら)

ハーヴェスト、S.Sxコンチェルト、S.Sxコンチェルト、と三回も登場したマッキーですが(ぱんだの演奏会での小品も含めると+1カウント)、
全国大会では、マッキーの「アスファルトカクテル」が金賞とりましたね。
マッキー作品としては全国初金賞では?
BD出たけどまだ買ってません。これまでは出たらすぐ買ってたんですが……年内にジャパンズベストを買わない初の年になりそうです2014。
その師匠コリリアーノの交響曲「サーカスマキシマス」が名古屋かどこかで演奏されたらしいと、あとから知りました。指揮は、東京佼成タイタン回の川瀬氏。
たしかバンダとか変な編成だった気がするので、演奏される機会はあまりないと思います。行けるもんなら行きたかった無念ー。


S/N


これまで卑俗矮小な話題でしたが、ここからは輪をかけて矮小でございます。
下記、すでに多くの方はある答えを得ている状態かと思いますが、あえて誤ったまま書き進めて気持ちの悪い箇所もあります。よき具合に解釈していただければと思います。

2007年某日に遡ります。
今日も今日とてモラトリアムを消費しながら音楽の辺境をふらつく日々だったのですが
とあるアルバムの一曲が耳を打ちました。
当該アルバムは、目当ては上にも登場した「科戸の鵲巣」と「ローマの祭り」だったのですが、(そしてその二曲も十分繰り返し聴くことになったのですが)
その曲は音のうねりや圧力から怨念すら感じられるほどで、かつ各種邦楽器を用いた挑戦的かつ贅沢な内容にも惹かれました。
ライナーノートには「超絶」という表現すら踊り、(ちょっとオーバーかなとは思いましたが)そんなに嘘でもないと思いました。

「小品」という非常にシンプルなタイトル。
作曲家は、佐村河内守という無名のひとでした。

この音源で興味を持ち調べてみると、無名なわけではないことは分かりましたが、
その音源以外は手に入らず、マイナーな作家には違いないようでした。実質無名。
当時は邦人作品への興味がマックスで、かつ大編成の魅力に傾倒していました(今振り返れば、そんなこってりしたものを聴き続ける体力が当時あったのだと驚きます(振り返りついでに……そういえばks(けー・えす)という呼び方もこのころ発生した気がします。いみじくもGmailが招待ベースで運用されていた頃のような……))ので、
ライナーノートにあった「交響曲」の文字が頭から離れませんでした。


こんな作品を「小品」として世に問う人の書く交響曲が、一体どんなものか。
シリアスな作曲家など売れない時代、交響曲など書いても演奏されないのが常です。そんなことは分かっています。そのうえ、異様な大編成、第九並みの長大さ、かつ無名作曲家。ついでに「交響曲第一番」というだけのタイトル(潔いタイトルでした)。標題性の無さも集客性の低さをイメージさせます。
音になるワケガナイwwwww
レアリティが価値観にバイアスをかけ、
その作品が音になることを真剣に応援しました。
渇望。


今でこそ、このようなことを言ってもネタかと笑われるのですが
(実際笑われたのですがw)
自分は純粋に、音楽を入り口としてその人物に興味を持ったのでした。
2013年当時の、よってたかる有象無象とはあらゆる側面が違います。
と思いたい。……だから何だというほかありませんが。

その後、広島の会社に就職することになりました。CG屋に転職する前の職です。
かの交響曲、万一初演されたとしても、どうせ数多の邦人交響曲と同じ運命(再演されない)だろうから、
演奏されるなら広島であって欲しいと思っていました。
(そのために広島で職に就いたわけではありませんがw)
果たして、それが現実のものになります。
名前は忘れましたが、なにか国際会議の記念演奏会で取り上げられるというのです。
二楽章は抜きという「抜粋初演」とはいえ、当時「そもそも音にならないだろう」という状況ですから、不完全であろうとも構わず、渇望した人間は食いつきます。
記念演奏会という性質上、全部やるわけにもいかないでしょうし。
いよいよ耳にしたその作品は、「小品」ほどは現代的でなくむしろ古典的だったわけですが、尺も尺だし通底する緊張感を楽しむには前衛ゴリゴリよりも好ましいと感じました。
厚生年金会館大ホールの、そそり立つような二階席の最前列で興奮しながら聴き、
いつか完全版を是非、と強く思いました。
あと、吹奏楽版にならないかなと思いました。
知人にそう言うと「はぁ?」と一笑に付されました。

その蒐集欲が満たされる機会も、追って訪れました。
京都市交響楽団の演奏で、二楽章込みの「完全版」が取り上げられるというのです。指揮者は、抜粋初演と同じ秋山氏ということで、これも「完全版」感を高めてくれました。
天気の悪い、寒い日でしたが、多くの人とともに植物園横のホールへぞろぞろ歩いていた景色を思い起こすことが出来ます。
自分はマイナー音源趣味からこの地へたどり着いたわけですが、
他にもこんなに多くの人が、この一度しか演奏されないかもしれない作品を見届けようとしている、
と思うとなにやら嬉しくなりました。
今となっては、そのにやにや感も意味不明といえば意味不明。
省かれていた第二楽章はこの作品中もっとも長大で、この楽章だけで30分を越えます。既に聴いた前後楽章に急速部があったので単純に「急-緩-急」だとしたらアダージョ楽章かな、でもそれで30分だとさすがにきついな、これだけ長いと独立して演奏できるくらい構成要素も多くて……等々の妄想も楽しく、もしかしたら「小品」的な前衛さも覗くかしらとちょっと期待したりもしました。
実際に聴いた二楽章は、言うほど前後楽章とコントラストが付くでも無く、前衛・技巧に走るでもなく、その点では若干の拍子抜けは感じました。ただ、ひたすら闇を這い進む道程は抜粋初演よりもなお強調されますし、書き上げたエネルギー自体は推し量って余りあります。それらが積分的に押し寄せる終楽章はいよいよ迫るものがあり、長い抑圧を経て打ち鳴らされる鐘は映画的な勝利の讃歌然と目頭を熱くしたのでした。

……驚いたことに、
この世界初演は音源化されませんでした。
「ひょっとしたらもう演奏されないかもしれない作品」の中では話題作になったわけですし、再演より先に、この演奏が音源化されるであろうと踏んでいたのですが。。。

東京での抜粋初演が行なわれ、次いで全曲初演も行なわれました。
抜粋の方は不覚にも行けなかったのですが、全曲の方には行くことが出来ました。
そして2011年、いよいよ音源リリース。演奏は、東京全曲初演者。これはレコーディング中に311の余震に見舞われたとか、クラシック音楽業界各氏の後押し等々で話題性も高く、
クラシック音源としては異例のヒットになったんじゃないでしょうか。数字は知りませんが。
さらに東京初演はNHKで放送されたりDVDになったり。
その後も、ソナチネや弦楽四重奏、「祈り」、川崎での全曲再演と
快進撃が続きます。

これらと相前後しながら、
「純粋に音楽を聴いて欲しい」として標題を付されていなかった交響曲第一番に「HIROSHIMA」というエンタテインななにかがくっついたり、
「小品」には、その作品とはまったく関係なさそうな副題がいつの間にか付いたり、
なにかよく分からない違和感を感じることが増えました。
「祈り」初演も楽しんで聴いたのですが、どこかパッチワーク的というか、ほんとに「小品」と同じ人が書いたのか?否、「同じ人が、手癖で書いた」感を、感じたりもしました(それにしてもこの回のベルキスは大変素敵でした)
ただ、「……???」と思ったのですが、これまで応援してきた事実や、ただ自分の好きなものが多くの人に知られて行くという感覚(錯覚)を支持するのみで、
おかしいという視点はついぞ欠落したままでした。


振り返ると節々に疑問を感じているのですが、
強く納得・肯定済みのことを、改めて疑い直す、というのは至難だと感じます。


2013年には、なんと全国ツアーまで始まってしまいました。
注目度に比例して胡散臭い情報も散見されるようになって来ていましたが、そういうのは基本的にはやっかみ、ゴシップ的なものだろうと思っていました。
思ってはいましたが、とはいえ違和感というかズレのようなものも積もりつつ。
それがいよいよ決定的になったのが、
2013年12月28日、ツアー半ばの「広島公演」でした。
HIROSHIMAという標題を持つ大曲が、紆余曲折を経ていよいよ広島で全曲初演される。それはもう記念碑的な出来事で、この作品はこれを以て完成するんじゃないかくらいのテンションですよ。
しかしフタを開けてみると……
端々に見られる過剰な演出、なぜか妙に高額なパンフレット、いわゆるこの手のコンサートとは違う客層、脳裏に『ショーアップ』という単語がちらつきます。演奏については触れません。
いろいろなものがズレていると感じました。少なくとも自分の中では、
もう、いいかな
と思いました。自分の好きなものとコレは、なんとも在り様がかけ離れている。
結果的には、ある意味で確かに「完成(=終了)」することになったわけです(笑)

それから年が明け2月、何があったかは多くの人が知るところです。
嘘と恥の2014年の戦列に、その人物は華々しくお並びになられました。
もういいかなと思ってはいたものの、衝撃からその日は仕事にならなかったことを白状しておきます。
一瞬は「ユニットとしての創作活動に支障を来した」ならば、「仲直りしてほしい」などとも思いました。
しかし、知れば知るほど、そういうことじゃ無いようでした。

それからごく短期間、この人物の周りをすっぱ抜きまくる週刊新潮を愛読することとなりました。
そこで明るみに出る事情のあれこれ。
依頼者から作曲者への発注書、その質の変遷。特に「祈り」発注の際のそれは、ほとんど落書き。
自伝とされた本の内容の一部は、実は本当の作曲者の体験談から取材したものであったこと。
交響曲第一番は、愚行を悟らせるためにあえて演奏不可能な大規模編成と長大さを目指したこと。
京都での世界初演は、実は第二楽章が数分間カットされていたこと。
察するに、これは恐らく指揮者秋山氏が行なったことで、演奏時校訂というかロマン的改訂というか……指揮者が演奏時に楽曲カットすることは歴史的にも行なわれて来ました。
それが「長くするために長くした」部分であるならば、なおさら当然です。
おそらくはそれによって、世界初演の音源は幻になったこと。その売名意欲。
「小品」には指示書がなく、おそらく作曲家自身の色が濃い目に出ているであろうこと。
その他の「S」氏名義の作品は放棄するとしながら、「ソナチネ」のみは正しい作曲家の名義に変更する交渉が行なわれていること。

多くの人が、感動的なこととしてこの事象を祭り上げてきました。
都合6年以上「快く騙されて」分かったことは、
「騙された!」「こんなの感動的な作品でも何でも無い!」「感動返せ」(<??)と声高に叫ぶ連中が、いかに醜いかということ。
そして、そんな連中の醜さに義憤を感じる自分もまた、いかに気持ち悪いかということ。
はなから、騙されたことに怒るつもりはありません。というか騙されたと思ってもいません。
好き好んでトラックしていただけなので。
「小品」という作品を思いがけず気に入り、それからその書き手に注目した。
負け惜しみだと笑われても、この認識が、自分を被害者とか加害者とかいう話しから遠ざけてくれていると感じます。
ただ虚しいとだけは言わねばならないでしょう。


虚しいと思いながら、これからもたまに「小品」を聴き、「祈り」を聴き、「ソナチネ」を聴く。
自分は音楽家ではなくただの露悪的な好事家に過ぎず、「音楽史」上の価値とか、音楽的な質の優劣とか、どうでもよいのです。
悪行を肯定するわけではありませんが。

この2月には、バリトンサックス奏者 吉田隆一氏と、ピアニスト 新垣隆氏のアルバム「N/Y」がリリースされます。
曲のタイトルがいかれてて、手に取るのが非常に楽しみです。



……と、
2014年を振り返ったときにどうしてもこの話題を避けることが出来ず、
さりとて別の匿名ブログに書くのもなにだしなぁ、と
この件についてはCG界隈でもっとも首を突っ込んだ立場(自称)から書いてみました。
そのままではお目汚しにもほどがあるので、枕に似たような別の話題を置いて煙に撒いてみましたが、いやはや、めくそはなくそ。

今年も楽しく音楽と付き合って行きたいなと思います。

ks

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